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第一次サラ金問題顕在化 1983年貸金業規制法(サラ金二法)

1976年の衆議院の関係委員会でこの問題が取り上げられたが、政府の積極的対応は示されていない。翌1977年2月、当時の大蔵・法務・自治三省と経企庁・警察庁・総理府の六者によって「貸金業問題関係省庁連絡会」が設置され、9月になってようやく第1回会合がもたれるような状況であり、各省庁とも責任回避の消極的態度に終始し、問題解決の端緒さえみえない状況が続いた。しかし世論の高まりは放置できず、大蔵委員会・法務委員会がこの問題を取り上げ、サラ金規制法制定の機運が盛り上がった。

政党で独自法案を発表したのは社会・公明・共産の各党であった。1978年第87回国会には各党案がそれぞれ提案されたが、時代背景は産業優先で政治的調整困難な状況下、被害者の存在は忘れ去られ、その後4回の国会提出を試みるも、問題が顕在化しているにもかかわらず1981年には廃案となってしまう。社会問題化して4~5年経っても野放し状態が続いたのである。サラ金問題の悲劇は増え続けるのは当たり前の世界だった。1980年にサラ金の貸付残高は9,000億円、3年後の1983年には残高3兆円を超え566万人の利用者状況になっていた。

高金利(平均66%)、昼夜を問わない暴力的取立て、過剰貸付・誇大広告が「サラ金四悪」と称され、まさしく「サラ金地獄口の様相を呈していた。この間、政府は有効な手段をとらず、自己破産者は増加の一途をたどる。 1982年、自民党の大原一三議員ほか5名の提案で、8月5日に貸金業規制法と改正出資法(いわゆるサラ金二法)が衆議院本会議で可決成立する。8月17日参議院へ回付されたが、この年は継続審議となってしまった。翌1983年4月23日に参議院で修正決議され、ようやく日の目をみたのである。

ろうきん在職中の経験を生かして

ろうきん在職中、1978年前後から30年間にわたり「サラ金地獄⇒多重債務問題」にかかわってきた。一介の金融機関職員として、労働金庫に救いを求めてくる人の相談を受け、問題解決のアドバイスにあたってきた。その経験・実践のなかから感じたことを表現したい。2006年12月に改正貸金業法が成立し、政府に多重債務者対策本部が置かれ、2009年6月までに14回にわたり有識者会議が開催され、多重債務問題改善プログラムの進捗状況や課題・改善等が議論された。

2009年6月17日の第14回有識者会議において、わが国の多重債務問題およびクレジットカウンセリングの現況、政府および地方自治体の多重債務問題への取組みについて中間報告がまとめられた。これをどのように評価するのか、有識者の議事録発言も興味深い。社会的・経済的弱者には、いつの時代にも借金の問題がつきまとう。1970年代後半「第一次サラ金問題顕在化」が深刻な社会問題と化した時期に相談の実体験を始めた時からの話になる。

サラ金へ返済に窮して一家心中、強盗・殺人などの記事が新聞等を賑わした。支店の現場で日々相談に来る労働者の対応に追われ、世の動きがどうなっているのか、皆目わからない状態だった。わからないはずである。最高裁が自己破産の全国統計を開始するのは1982年からなのだから。調べていくうちに当時の記憶が、断片的だがよみがえってくる。

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